私は平和な静岡県の山や川の近くに次女として生まれた。
「好きなことはやりなさい」という両親の教育のもと、のびのびと育った。
私は外で遊ぶことが好きで、また男の子たちに混ざってやんちゃなことをすることも多かったので、時に公民館の屋根の上に登ったり、排水溝に忍び込んだり、山で洞窟を発見して帰るのが遅くなったりすれば、もちろん注意を受けた。
それでも理不尽に怒られた記憶はなく、悪いことをしたんだという認識で素直に納得した。
それからか、いつも「いってきまーす!」と言うと、「いってらっしゃい、危ないことしちゃだめよ」と言われていた。
そして、親や先生は絶対だ、と思っており、そして信頼もしていた。
だから先生の言うことは必ず守ったし、時間を守る、宿題をやる、なんていうのは当たり前で、さぼるなんていうのは考えられなかった。
(さぼろうとしたことも実はある。プールが嫌いな幼稚園時代に「お腹痛い」と仮病を使おうとしてたらしいのだが、物の見事にばれていた。)
親の言うことも大体(絶対ではない)守り、アイスは一日一個、テレビゲームやテレビは一日○時間、というのは常に心に留めていた。(もちろん100%守ったとは言えない。親がいない時間にやるゲームやビデオは特別♡)。
続く
「好きなことはやりなさい」という両親の教育のもと、のびのびと育った。
私は外で遊ぶことが好きで、また男の子たちに混ざってやんちゃなことをすることも多かったので、時に公民館の屋根の上に登ったり、排水溝に忍び込んだり、山で洞窟を発見して帰るのが遅くなったりすれば、もちろん注意を受けた。
それでも理不尽に怒られた記憶はなく、悪いことをしたんだという認識で素直に納得した。
それからか、いつも「いってきまーす!」と言うと、「いってらっしゃい、危ないことしちゃだめよ」と言われていた。
そして、親や先生は絶対だ、と思っており、そして信頼もしていた。
だから先生の言うことは必ず守ったし、時間を守る、宿題をやる、なんていうのは当たり前で、さぼるなんていうのは考えられなかった。
(さぼろうとしたことも実はある。プールが嫌いな幼稚園時代に「お腹痛い」と仮病を使おうとしてたらしいのだが、物の見事にばれていた。)
親の言うことも大体(絶対ではない)守り、アイスは一日一個、テレビゲームやテレビは一日○時間、というのは常に心に留めていた。(もちろん100%守ったとは言えない。親がいない時間にやるゲームやビデオは特別♡)。
続く
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